「地上の楽園」モリスの別荘、ケルムスコットマナー

「地上の楽園」モリスの別荘、ケルムスコットマナー

ケルムスコットマナーとは

ケルムスコットマナーは、イングランド南部のコッツウォルズにあるケルムスコットという小さな村にあり、ウィリアム・モリスが別荘として使用していました。

1871年にケルムスコットマナーをはじめて見たモリスは「地上の楽園」とも称したそうです。

1570 年頃に建てられもので、歴史的価値の高い建造物としてグレード1の指定を受けています

モリスが使用するようになってからも、地元で調達した建築資材でこの地方に伝わる建築手法(チューダー様式)で建てられた古い建築の保存にこだわり、この家を真の職人技の作品として愛したモリスは外観を含めできるだけ手を加えませんでした。

コッツウォルズは豊かな田園地帯でもありますが、ケルムスコットマナーは村や周囲の田園地帯と調和していたため、彼は、まるで「土から生えてきた」ように見えると感じたそう。

 

 

庭のばら、水辺の柳から生まれたデザイン

庭には楡(にれ)の並木があり、細い野道が柳の木立を抜けて川まで続きます。

ケルムスコットマナー周辺はすぐ南のテムズ川に流れ込む何本かの支流が流れ、柳が見事に生い茂っています。

モリスの次女、メイ・モリスは、父のモリスと小川のほとりを歩いていて、葉を観察し、ウィローバウができたと語っています。

枝の流れや細長い葉が美しい壁紙です。

ケルムスコットマナーの豊かな自然、季節の移ろいを感じられる庭からのインスピレーションにより、数々のデザインが生み出されたとも言われています。

 

ロセッティとケルムスコットマナー

モリスは、師匠であり友人でもあった画家のダンテ・ガブリエル・ロセッティと共同でケルムスコットマナーを借ります。

様々な活動で忙しくていたモリスは、ロンドンにある家で過ごすことも多かったため、ケルムスコットマナーは妻のジェーン・モリスとロセッティが主に使用していました。

モリスがケルムスコットマナーを借りるに至ったことも、世のスキャンダルから自分たちを守るという意図もあったとされています。

3年後にノイローゼなどの理由でロセッティはケルムスコットマナーを去ります。

その後はモリスと妻子たちが屋敷を使用しました。

 

屋敷の中のこだわり

屋敷内には、妻のジェーンと娘のメイが手がけた刺繍の作品もあり、モリスの寝室の寝台を飾るファブリックにはモリスの詩をモチーフにしたデザインでの刺繍を行いました。

また、モリスの作品の中では壁紙も有名ですが、ジェーンの部屋は「ウィローボウ」という柳をモチーフにした壁紙が使用されています。

17 世紀初頭の家具から、ラファエル前派の画家兼詩人ダンテ ガブリエル ロセッティが選んだ家具のコレクション、そしてモリスが建てたレッド ハウスのためにデザインされた家具など、ロンドンの各邸宅からの品々に至るまで、優れたコレクションを目にすることができます。

 

モリスは生涯ケルムスコットマナーを愛し、自らのデザインでどんどん手を加えていくのではなく、借り上げたその頃からの建物や周辺の環境が持つ魅力・本来の良さをそのままに活かし「アーツ・アンド・クラフツ運動」に携わるあらゆる発想の原点が生まれる場所になりました。