ウィリアム・モリスの生涯とは

ウィリアム・モリスとは

ウィリアム・モリス(1834-1896)はロンドン郊外生まれの思想家、詩人であり、デザイナーでもありました。

生前は多方面で精力的に活躍し、各方面で偉大な功績を残した人物です。

彼の幼少期は自然が身近な環境に育ち、エピングの森でよく遊びました。

この経験がのちのテキスタイルの創作の源にもなったと言われています。

1853年、モリスはオックスフォード大学エクセター・カレッジに入学し、聖職者を目指す中、生涯の友人・エドワード・バーン=ジョーンズに出会います。
フランスやベルギーへの旅の影響で、モリスは建築家を志すようになり、1856年にジョージ・エドマンド・ストリート建築事務所に入所します。
そして、画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティとの出会いから、画家を志すようになりました。

この縁よりモリスはオックスフォードのフレスコ画作成に関わり、のちの妻のジェイン・バーデンと出会い結婚に至ります。

レッドハウスと商会の成功

夫婦の新居となる赤レンガの家「レッドハウス」は、仲間たちのあらゆる協力で完成に至りました。

この作業をきっかけにモリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)が設立されました。
モリスはこの頃から製作美術の分野を手がけます。

ステンドグラスや家具の仕事が第2回ロンドン万国博覧会(1862)で評価をされ、1865年にはセント・ジェイムジズ宮殿の内装を手がけるなど、商会の活動が軌道に乗ります。
1875年には天然染料の使用、テキスタイルデザインに力を注ぎ、1883年には今なお人気の「いちご泥棒」などが生まれます。

 

アーツ・アンド・クラフツ運動の源流

モリスの思想は共感され、1880年代にはモリス商会と同じ理想を持つアトリエなどが多く生まれ、彼の活動は若手の建築家やデザイナーからなる「アーツ・アンド・クラフツ運動」の源流となりました。

晩年のモリスは印刷工房のケルムスコット・プレスを設立し、「書物というものはすべて美しい物であるべきだ」という思想のもと、美しい装丁や活字デザインのもとに、全53タイトル・66冊の製本が行われました。

彼は1896年に62歳でケルムスコットハウスにて、その人生を終えます。
彼の理想の元に行われた各活動は、今なお受け継がれている精神です。

産業革命が進む18世紀に、手仕事にこだわりを持ち、生み出された美しいデザインは日本でも160年の時を超え愛されているということに、本質が伺えます。