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テキスタイル・いちご泥棒

テキスタイル・いちご泥棒

ウィリアムモリスの生み出した数々の作品の中で、特に有名な作品の一つがテキスタイルの「いちご泥棒」というデザインです。 今回はいちご泥棒についての紹介を致します。 いちご泥棒はモリスの別荘である「ケルムスコット・マナー」でいちごをついばんでいるツグミを由来として描かれた愛らしく美しいデザインです。 当時、作られ方もとても先進的に行われました。 いちご泥棒はインディゴ抜染技法で多色プリントを実現した最初のテキスタイルです。 工程としてはまず、インディゴで濃く染めた生地の別色に染めたいデザイン部分の上に抜染剤を置いて脱色します。 さらに色抜きや染色を重ねるという非常に高度な技術を要するプリント技法でした。 とても彩りが豊かな仕上がりにはなりますが、数日を要するほどの手間や技術がかかるがゆえに高価な生地とはなっていました。 一般の庶民には手が届きにくかったということはあるものの、当時も不動の人気を誇るデザインでした。 そして、時代を超えた現代にも、世界中のあらゆる人々に愛され続けるデザインとなっています。 繊細で美しい左右対称の草花や動物のモチーフは、これからも人々を魅了し続けるでしょう。

ウィリアム・モリスの生涯

ウィリアム・モリスの生涯

ウィリアム・モリス(1834-1896)はロンドン郊外生まれの思想家、詩人であり、デザイナーでもありました。生前は多方面で精力的に活躍し、各方面で偉大な功績を残した人物です。今回はウィリアム・モリスの生涯について紹介致します。彼の幼少期は自然が身近な環境に育ち、エピングの森でよく遊びました。この経験がのちのテキスタイルの創作の源にもなったと言われています。1853年、モリスはオックスフォード大学エクセター・カレッジに入学し、聖職者を目指す中、生涯の友人・エドワード・バーン=ジョーンズに出会います。フランスやベルギーへの旅の影響で、モリスは建築家を志すようになり、1856年にジョージ・エドマンド・ストリート建築事務所に入所します。そして、画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティとの出会いから、画家を志すようになりました。この縁よりモリスはオックスフォードのフレスコ画作成に関わり、のちの妻のジェイン・バーデンと出会い結婚に至ります。夫婦の新居となる赤レンガの家「レッドハウス」は、仲間たちのあらゆる協力で完成に至りました。この作業をきっかけにモリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)が設立されました。モリスはこの頃から製作美術の分野を手がけます。ステンドグラスや家具の仕事が第2回ロンドン万国博覧会(1862)で評価をされ、1865年にはセント・ジェイムジズ宮殿の内装を手がけるなど、商会の活動が軌道に乗ります。1875年には天然染料の使用、テキスタイルデザインに力を注ぎ、1883年には今なお人気の「いちご泥棒」などが生まれます。一方で、76年に東方問題協会に参加し政治としての動きも行います。1877年には古建築物保護協会の創設など精力的に活動を行いました。モリスの思想は共感され、1880年代にはモリス商会と同じ理想を持つアトリエなどが多く生まれ、彼の活動は若手の建築家やデザイナーからなる「アーツ・アンド・クラフツ運動」の源流となりました。晩年のモリスは印刷工房のケルムスコット・プレスを設立し、「書物というものはすべて美しい物であるべきだ」という思想のもと、美しい装丁や活字デザインのもとに、全53タイトル・66冊の製本が行われました。彼は1896年に62歳でケルムスコットハウスにて、その人生を終えます。彼の理想の元に行われた各活動は、今なお受け継がれている精神です。産業革命が進む18世紀に、手仕事にこだわりを持ち、生み出された美しいデザインは日本でも160年の時を超え愛されているということに、本質が伺えます。「生活に必要なものこそ美しくあるべき」というウィリアム・モリスの思想に習い、私共はお客様の暮らしを上質にするお手伝いをさせていただきます。生命力溢れるデザインが皆様のもとに届き、生活の中に美しさを見出していただけるよう、発信させていただきます。